代表プロフィール(読み物風)

翻訳会社を選べる トランス・ジャパン株式会社 : ごあいさつ
トランス・ジャパン株式会社 代表取締役 読み物風プロフィール
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金沢 台彦
1967年2月生まれ、次男坊、奈良県出身
家族構成: 妻一人、犬三匹(チワワ1匹と柴犬2匹)
趣味: 犬、映画鑑賞、スポーツ、スポーツ観戦
翻訳者、TOEIC920、東京ベンチャーユニット会員、早稲田大卒、宅建主任者資格、日本語教育能力検定試験合格等
翻訳事務所を2000年に法人化。2001年ビジネスモデル特許出願。2002年『翻訳とらいあるドットコム』を開設する。

  大学の卒業旅行で訪れたオーストラリアで、その空、海、風、そしてオージー(オーストラリア人のこと)のライフスタイルに魅了されてしまい、悩みながらも、海外勤務の可能性のない内定会社をさすがに入社直前に辞退することもできず、帰国のわずか2日後に入社式を迎える。しかしやはり熱は引かず、研修が終わるとまもなくして、オーストラリアに支社を有するディベロッパーの「三年日本で頑張ったら必ず行かせてあげるから」の言葉でそちらに転職してしまう。

  後で振り返るとバブルが弾けつつあったまさにその頃だったが、尋常でないハードワークの毎日のなか、入社の3ヶ月後には月間1億円を超えるセールスを記録して配属先支店でトップとなり表彰されてしまう。その後も、決して営業向きの性格とも思わないのだがなにがのりうつっていたのか、誠実に、工夫しながら仕事をしていくなか、全国500余名の営業社員のなかで常に上位TOP10の成績を維持し、1年に2回も昇進するなどその会社の中だけではちょっとした有名人になっていく。売上げ至上主義には違和感を覚えながらも、この時期、戦う前に勝負は決しているという真理や、入念な戦略を立てておくことの重要性を実感したことや、営業魂のようなものが身に付いたことは今なおビジネスを進める上での大きな財産として残る。しかしその後会社は総量規制、バブル崩壊のあおりを受けてオーストラリアほか海外事業から撤退。その後まもなくして破産法申請(実質的に倒産)にまで至る憂き目にあい、業界で史上二番目の大型倒産として当時テレビで報道などもされる。

  「組織に頼ったり、利用しようとしたりするからいけない。世界のどこででも個人としてやっていけるような職を」と、目標を新たに一念発起し、集中して勉強して、二ヶ月後、文部省認定日本語教育能力検定試験に合格し、平日は民間日本語学校の常勤講師として、週末は学校には内緒で大手町の都市銀行に出張して個人でアメリカ人のビジネスマンに教える。その後ニュージーランドの国立大学に採用されて教壇に立つ。学期の間は通学生に教え、休みの間も通信学生のために各地を出張してまわるなど充実した日々を送る。契約満了にあたり、より好条件での複数年の再契約の打診を受けるも、日本での一身上の事情等あり断ってしまい、充電をかねていったん帰国。

  帰国後、かつて勤めていた学校やディベロッパー時代の上司からの誘いを断り、何ヶ月かノンビリ過ごし、その後語学力のアップと豪州か米国の大学院留学費用を貯めるまでという軽い気持ちで入社した翻訳会社であったが、頼られるまま、何の因果か業界から抜け出せなくなる。コーディネーター職、営業マネージャー職の重責を経て、説得を重ねて遂に退職させてもらい(日本的...)、その後また留学を考えていたところ、思わぬところできっかけがあり職業翻訳者としてデビュー。意外にも、細かなことが気になる性分が翻訳の仕事に合うようで順調に面白く仕事を続けるが、一方で、暖めていたアイデアを元に2002年、人材の選抜方法に関するビジネスモデル特許を出願する。将来性のある、多業種に適用可能な汎用性の高いビジネスモデルだと考えているが、さしあたり、そのシステムの一部を利用して、業界内の関係各方面の顕在的・潜在的ニーズを把握している産業翻訳のフィールドに絞った新サービスを提供すべく準備を進め、2002年にサービスを開始して現在に至る。最も良い翻訳品質を提供できる規模を見計らいながら、その程度に成長するまでは責任を持って会社を大きくしようと考えている。

  しかし夢のオーストラリア生活もあきらめてはおらず、このビジネスも20年後には信頼できる人間に譲り、老後はかの地で…と決めている。その一方で最近は、引退後の渡豪よりも前に、明日の希望もない国の人々になにか貢献できないかと柄でもないことを真剣に考えている。そこには阪神淡路大震災のとき、仕事のためボランティア活動に行けなかったという後悔があり、なにがなんでもビジネスが大事だとは考えていない。翻訳ビジネスの究極の目標も国際貢献だと嘯いている。

  趣味は月並みだが映画鑑賞。ヨーロッパのものも日本映画もアジア映画もアメリカ映画も、古いのも新しいのも観る。ジャンルも幅広く観るが、特に、極限状態の中で人間がどう振る舞えるかを試すようなものや(たとえばメリルストリープの『ソフィーの選択』とか)、個人が腐敗した組織の中で孤立しながらも正義を貫くようなもの(たとえばアル・パチーノの『セルピコ』とか)が特に好み。サスペンスものや、マフィアもの、単純に笑えるものも好み。また音楽もジャンルを問わずよく聴くがここ15年ほどは疎い。いずれも最近は多忙のため、その暇も取れないでおり、読書なども必要に迫られて読むもの以外なかなか読めない。モームスのメンバー名はもうほとんどわからない

  いまは犬を飼いたいと思っており、柴犬や、秋田犬や、紀州犬など日本犬に関心があるが、目と目が合ってピピッと来たら雑種でもブルドッグでも何でも良いとも思っている。(と書いていたが、この翌年にまず柴犬が家にやってきて、またその翌年にはチワワ。さらに今年にははじめの柴の娘1匹を引き取り、今では3匹も!)猫も嫌いではないが、こんなことがあった。ホームステイ先で猫と私とで留守番をしていたとき、その猫が高価な(に見える)皿を割ってしまった。ホストマザーが帰宅したとき私は迷いながらも、さすがに猫の身代わりになってやる気にはなれず、事実をそのまま「猫が割った」と言った。そのとき、ホストマザーが私に向けた何とも言えない目を私は忘れない。そしてそのとき助けを求めて猫を見ると、案の定、知らん顔だった。

  普段は標準語を話すが元の出身は関西のため、ノリはそちら系。リアクションが大きいと言われることがある。また声が低く、街なかで驚かれることがあり、そのアクションで逆に驚かされたりもしている。

  現在は運動不足が極まってきているが、かつては野球(リトルリーグに始まり、学生自主運営の六大学リーグでベストナイン、盗塁王など)やサッカー(名門サッカー部に在籍したが、補欠だった)、少林寺拳法などそれなりにアスリートであった。水の中は苦手。(幼少期に兄と叔父にふざけて琵琶湖に沈められかけたことがトラウマになっているのだと思う。)

  雑食で何でもよく食べる。お酒は、今はほどほど。日本酒、ジン、ウォッカが好み。焼酎に入れた梅干しはかならず潰す。日にコーヒーorエスプレッソを5杯以上飲み、よくクラクラしている。

このプロフィールは今後30年程(予定)、随時更新されます。
(2005年11月24日/初稿2002年10月18日)